システムエンジニア

【インタビュー】20数年働いた会社を退職。 転勤がなくなり、家族との時間が増加。 新たな技術も身に着いた。

S.N.(48)2022年入社

盛岡に骨をうずめるつもりだったのに、転勤の辞令が。

私は岩手県岩手町の出身です。この会社に転職する前は、印刷会社のグループ会社で20数年、SEとして働いていました。本社は東京にあったのですが、私自身はずっと盛岡支社で勤務していました。自社工場向けの生産管理のシステム開発・保守からスタートし、銀行系、保険会社向けのシステムなどを担当。転職する直前の役職は、課長補佐でした。

転職を考えるようになったきっかけは、転勤です。より上流側の仕事をするために、東京への異動を命じられたんです。リモートワークも珍しくないこの時代に、盛岡のままじゃあだめなのか?と、会社と交渉をしたんですが、くつがえらなくて…。私は32歳のときに結婚し、子どもも2人います。盛岡に骨をうずめるつもりで、14年前には一戸建ても買いました。それなのにいきなり辞令が出たんです。自分にはどうしても受け入れることができませんでした。

自分が考えていた条件にいちばん近い会社。

それでまず会社を辞めました。次の職のあてがあったわけではありませんでしたが、もう、ここにはいられないなという思いでした。妻とは前々から、「もし転勤を命じられたらどうする?」という話はしていて、「そのときは転職することになっても仕方ないね」という話をしていたので、それほど抵抗はなかったですね。

初めての転職活動は、ハローワークから始めました。やがてネットでも情報を調べるようになり、この会社のことが目に留まったんです。自分が考えていた条件にいちばん近いと感じたから。条件は大きく3つありました。前職の経験が生かせること。待遇も前職とそん色ないこと。もう1つは、妻と休みが合うこと。私は、夫婦や家族で旅行に行くのが趣味なんです。その点、この会社は休みも取りやすいですし、待遇も地元ではいいほうでした。

早く帰れるようになり、妻の苦労もわかった。

今は、建材メーカーの受発注管理システムの開発を担当しています。東京のSCSKのメンバーともいっしょに仕事をしており、自分は岩手オフィスのリーダーを任せてもらっています。

この会社に入ってまず感じたのは、残業に関する意識の高さです。前職では月40時間を超える残業が当たり前で、自宅に帰り着くのは毎晩22時すぎ。妻は子どもが小学生に上がったころから時短勤務ができなくなっていたので、1人できつかったと思います。ですがこの会社の残業目標は、月20時間以下。何もなければ18時半には会社を出ています。自宅まではバスで20分ほどなので、19時前には帰り着くんです。明るい時間に帰れることが、最初のころは本当に新鮮でした(笑)。最初だけかなと思っていたんです。でも、それがこの会社では当たり前でした。おかげで今は家族と一緒に晩御飯を食べられるようになりましたし、食事の準備や片づけもやるようになりました。子どもたちとの会話も増え、様子もよくわかるようになりました。以前はそういったことをすべて妻が1人でやっていたんだと思うと、しんどかっただろうなと思います。

自分に必要な技術を学べる環境。

この会社に転職して、初めてアジャイル開発にも挑戦しています。知識やスキルは現場でのOJTと、社内で設けてくれた研修に参加して勉強しています。新しい技術にふれるチャンスをもらえたことがうれしいですし、今後のキャリアに活かしたいと思っています。

この会社は教育にすごく力を入れていると感じます。毎年、教育に関する予算も決まっていて、具体的に動いているのが見えます。AWSやグーグルサーバーなど、いろいろな研修があるんですよ。しかも、上司から言われて受けるだけでなく、「こういう研修を受けたい」という要望を自分から上げることも可能。その時に自分に必要な技術を学ぶることができるんです。

有給休暇は「みんなでとるもの」。

残業時間が減ったこともあり、給料は転職して若干下がりました。それはしょうがないし、影響も特にありません。これから上がるチャンスもあるので、そこは自分次第だなと思っています。

一方、有給休暇はずいぶん取りやすくなりました。前職のときは、3~4日取れたらいいほう。使いきれなくて、次の年に積みあがって、それでも使えなくて消えていました。ところがこの会社は年間20日の有給休暇をすべて使い切りなさいと会社から言われて、本当に使い切ることができる。すごいなと思いましたね。以前は、「どうせ取れないよね」という思い込みや決めつけもあったんだと思います。でもこの会社は「みんなでとろう」という雰囲気があります。休みを取ることに対しての理解が、お客様も含めてあるんだと思います。

お楽しみが多彩な、岩手の休日。

前職時代に転勤を断ったのは、家族みんなで一緒にいたいという思いと、生活環境を変えたくないという思いがあったから。岩手が好きなんですよね。

私の趣味は車。なので休日は妻や家族を誘ってよくドライブに出かけています。花巻の温泉に行ったり、仙台や福島まで足を延ばすこともあります。

盛岡市は、岩手県の真ん中にあります。岩手県はどこに行くにしても広いんですが、道路が整備されてきれいになったので、盛岡から三陸海岸にある宮古までは車で2時間切るようになりました。下の息子が釣り好きなので、宮古までドライブして、道の駅の下の岸壁にある有名なスポットで釣りを楽しんでいます。それから、岩手は登山も楽しめます。岩手山、姫神山、鞍掛山など、登りやすい山がいろいろ。温泉もたくさんありますよ。花巻温泉、北上温泉、つなぎ温泉。花巻温泉にはご飯がおいしいバイキングがあります。岩手の食べ物だと、冷麺が好きですね。あとは、じゃじゃ麺。必ず「チータン」もやります。麺をあらかた食べた後、卵をといて、ゆで汁を注いでもらい、肉みそやラー油をお好みで入れて食べるんです。私は大好き。むしろそこまでやっての、じゃじゃ麺だと思いますね(笑)。

学び続けなければならないのは、東京も地方も同じ。

私はずっと盛岡で働いてきたのですが、エンジニアとしてのハンデは感じません。特にこの会社は、仕事を取ってくる部署と、作る部署が明確になっていて、首都圏の開発案件を岩手でやることができます。新しいことに着手するときに勉強が必要になるのは、地方も東京もいっしょですし、スキルは本人次第だと思いますね。

だから、Uターンを検討している方も自信をもって、地方に戻ってきていいと思うんです。仕事に対する不安はあるでしょうけど、なんとかなりますよ。自分の場合も、経験が通用するか不安でしたが、入ってみてわかることもあるんです。確かに会社が変わると、言語も、ツールも変わります。でも、プログラムやアルゴリズム、開発フロー、プログラムの進行の仕方といったことは、どの会社もだいたい共通しています。まぁ、会社によって、方言のように「言葉」が異なるところもありますけどね(笑)。中途で入るということは、期待されているということ。そのプレッシャーや不安もあるでしょうが、誰でも、わからないこともありますよ。そこは柔軟に学んでいけばいいし、気負わなくていいと思います。

これからの目標としては、岩手はまだ請負の仕事が少ないので、増やす方向に向かっていけるよう、手伝っていきたいと思っています。請負は成果物に対する責任が伴うので大変にはなりますが、やりがいもありますから。

プライベートでは、せっかく自分の時間が増えたので、車をいじる時間を作りたいと思っています。若い頃はサーキットにも参加していたんですよ。それを再開して、ライフワークにできたら、最高ですね!